MKU's View

経営戦略論・組織論を研究しているMKUのブログ。 書評やウェブ上の気になった記事などを載せていきたい。 私自身の思考トレーニングの側面もあるので、まとまりの良さよりも、ちょっとした「引っかかり」を中心に投稿を行っていきたいと思っている。


Friday, August 18, 2006

フタタ、コナカと統合決定

NIKKEI NET:主要ニュース「フタタ、コナカと統合決定・AOKI案は拒否」

フタタとコナカが統合することが決定したとのニュースが入った。
当初、AOKIとの統合についても積極的な発言の多かったフタタだったが、様々な側面から分析した結果、コナカとの統合に至った模様だ。詳しくは当該記事に記載されている。

今回の統合への流れで興味深かった点は、AOKIがフタタに対して業務改善のための提案を基礎として統合を持ちかけてきたことにある。提案型統合と言っていいかもしれない。
これに対して、当初の提携先であったコナカも業務改善に対する提案を行った模様で、提案内容を巡る競争の結果が、コナカとの統合につながった。
今後、こうした提案型統合は増加するのではないかと考えている。主に、経営体力や業務展開・企画力に課題を抱える企業に対して、グループに加入・統合することによって、問題を解決していくという形態は、実際いくつかの企業で見ることが出来るようになっている(例えば、アークなど)。
この場合、統合を実現することも重要だが統合後の、組織の融合や実際の事業展開(アフターM&A)が重要になってくる。ある意味で、会社再建に類する知識が重要であると言えるだろう。
村上氏のM&Aコンサルティングの活躍などで注目されたM&Aであるが、彼等は主に新規事業開拓等、積極的な成長策へ活用されないままの現金資産を株主に分配することを迫るものであり、事業再建の提案を行うことが主たる目的ではなかった。
今回のフタタとコナカの統合は、これとは全く異なる統合のあり方を示したものだと言えるだろう。

Wednesday, August 16, 2006

マツダ、北米での販売奨励金削減へ(価格設定とブランド価値)

マツダが米国内での新型車について、販売奨励金をゼロにすることを発表したという記事が、8月16日の日経新聞朝刊に掲載された(「米の新型車販売 マツダ、報奨金ゼロに」 ただし、紙面よりも若干情報が少ない)。
販売奨励金とは、車だけでなく携帯電話の販売などにも用いられているが、販売店に対し販売を行った数だけ一定の金額を支払うというシステムのことで、販売店はこれを原資として販売価格を引き下げて顧客に提示することが可能になる。
同記事に寄れば、価格競争力をつけるため、マツダはこれまで平均2,000ドルの販売奨励金を支払ってきた。一方、米国内でシェアを伸ばしているトヨタやホンダは900ドルの奨励金に止まっている。しかし、シェアをトヨタやホンダに奪われているビッグスリーは平均3,400ドルもの奨励金を支払っているとのことだ。これは何を意味しているのだろうか?

同記事に寄れば、「奨励金による大幅な値引きは中古車価格を下げ、結果として新車の値下げ圧力にもなる」とのことだ。ちょっとわかりにくい一文だが、もう少しわかりやすく言うと、新車を購入する顧客が、中古車として高く売れる見込みが無いと考えるため、現在の販売価格をさらに引き下げるように要求するようになる、ということである。
それでも多額の奨励金を支払うことをやめられないのは、提供する商品に競争力がないためである。確かに、各社は魅力的な自動車の開発に注力しなければならない。だが、なぜそうなのかという点を考えるならば、今のロジックの逆のことも考える必要がある。つまり、価格を安くするから競争力がない、という点である。ここがブランドと収益との関係を考えるべきポイントである。

かつてカルロス・ゴーンは日産自動車はブランドが弱いことで、7億5千万ドルを失った、と述べ(日経新聞記事より)、値下げではなく値上げという方法でブランド価値を高めることに取り組んだ。ブランドそれ自体は無形であるが、商品やサービスといったものは顧客にとって、ブランドという文脈の中で理解されている。ここでは詳しくブランドがなんたるかという点について述べはしないが、つまりは、商品やサービスをどのような文脈の中で理解させるのか、そこを考えなければ商品・サービスの競争力を得ることはできないということである。であるならば、自社の商品・サービスをいかに価値があるものとして理解して貰うのか、もっと簡単に言えば、価値を作り出すものこそがブランドなのである。
マツダの今回の取り組みは、ブランドをどのように構築するかという点について1つのヒントを提示している。すなわち、安易な値下げで販売拡大をねらうのではなく、むしろ、価格を保つことにより、自動車の価値を作り出そうという取り組みなのである。

このような取り組みは随所に見ることが出来る。例えば、私の友人がインターネット上で惣菜を販売するサイトの構築に携わっているが、そこでの販売価格は決して安くない。恐らく安さを追求すればもっと安く作ることも出来るだろう。しかしながら、敢えて安くない価格で販売し、またその価格に相応しい商品規格(無添加、素材厳選等)を行うことにより、顧客からの大きな信用獲得を可能にしている。
或いは、ルイ・ヴィトンやプラダのバッグが1万円で売られていたら誰が買うだろうか?
つまり、価格は顧客からすれば、原価に利益を上乗せしたものなどではなく、商品の価値を表す記号なのだ。
勿論、ヴィトンやプラダのバッグが、ユニクロで売られているものと同じ品質であったら売れないかも知れない。だが、両者には品質に差があっても、その差が 何を意味するのかということを考えると、価値は価格差によって生み出されているという側面もまた存在する。高いから価値があるのである。しかし、その差が妥当なものだと顧客に理解されるためには、商品・サービス、プロモーション、その他あらゆる企業活動をブランド価値に沿ったものとしていくことが必要である。

近年業績回復の著しいマツダは、全ての車種にスポーツの要素を持たせ、独自のポジショニングを獲得しつつある。この戦略と併せてみると、今回の記事は、価格を保つことにより逆に商品価値を顧客に認知させようというブランド戦略であることが分かる。価格が高く保たれれば、むやみに販売量を増やさずとも利益を確保することが出来る(特に変動費産業の場合効果は大きい)し、逆に安物ではない新たなブランド構築に成功すれば、顧客ロイヤルティの向上や、将来的な販売増へと結びつく可能性がある。まさにブランドは収益(ゴーン)なのである。
技術志向のとても強いイメージのあったマツダだが、そういった企業がブランド戦略に踏みだしている点は大変に興味深い。今後、マツダはグローバルブランドとしてどれだけ価値を高められるか見守っていきたい。

Monday, August 14, 2006

墓参り代行サービスに見る顧客視点の重要性

かつて、お墓のマーケティングに関してお手伝いをしたことがある。高齢化社会は、同時に沢山の人が死ぬ社会でもある。そのため、これからは墓園、ないし、埋葬のビジネスがひとつの重要なビジネスになってくる。これは非常に勉強になった。
埋葬の方法も今や多様になってきていて、旧来のお墓も運営主体が寺院だけでなく、公共の墓地、民間企業がある。また、ロッカー型墓地や永代供養(共同で埋葬してしまう方法)、海への散骨、はたまた宇宙葬などというものもあった。

しかし、神戸新聞の8月12日の記事によると、最近では高齢者の人を主なターゲットにした「墓参り代行サービス」なるサービスがあるらしい(「墓参り代行業、新たなビジネスに 高齢者に人気」)。
このサービスの面白いところはいくつかある。

ま ず、単純に考えて、高齢者向けの新たなサービスを開拓したという点がある。なるほど、自分で移動するのが億劫になった高齢者を対象にしたサービスというの は、考え方によってはもっと開拓の余地があるかも知れない。しかし、「誰が」開拓したのか、ということを考えると、高齢者を対象にしたビジネスに限らずも う少し広い示唆を得ることが出来るだろう。
仮に、(主に)家族の死を経験した人に提供されるサービスに関する産業を埋葬産業と呼んだとして、同産 業内ではそうした人々が必要とするのは、最終的には埋葬で帰結すると考えられてきたように思える。つまり、いかにして葬るか、ということがゴールであっ た。従って、提供されるサービスも、寺院の墓地に埋葬した場合の法要、墓地の利用料等以外は、一度提供されたら終わりという種類のものが多い。つまり、 「モノ」が売られている。法要や檀家としての勤め等の宗教的なサービスはのぞいたとして、葬儀(葬儀社)や仏壇(仏具店)、墓(石材店)等は、基本的に売 り切りである。

しかし、今回のサービスを行ったのは、墓石を販売する石材店の四国石材である。旧来モノを売っていた石材店が始めた点が面白い。
そ もそも墓石を購入する人は、近親者の埋葬のために購入する。石材店からすれば墓石を購入して貰っているわけであるが、墓石を購入する人にとっては、石が欲 しいというよりも、むしろ死者の冥福を祈り、心の平安を得るために購入しているはずである。実際、墓地を購入する時は、家から近い場所を求める傾向がある が、これは墓が欲しいからというよりも、墓を購入して、それなりの頻度で近親者の冥福を祈りたいからであると考えられる。
そう考えると、なかなか墓参りに行けないような人としては、墓の手入れもままならないような状況で墓が放置されているのではないかと考えると、気持ちが落ち着かない人も多いはずだ。
つまり、墓参り代行サービスは「自分はお墓をないがしろにしているのではない」という本来の墓の購入目的に即したサービスを提供しているという点で、極めて妥当なサービスであると言える。

ビ ジネスとして考えた場合も、モノを売ったら終わりのビジネスから、メンテナンスという新たな収益領域を獲得したという点で興味深い。墓石と墓参りという両 方を提供することで、彼等は埋葬ソリューションを提供する主体となる可能性もある。今後は、墓園や寺院との提携なども拡充されるかも知れないし、墓石以外 の領域とも統合したサービスの提供(例えば、葬儀社が墓参り代行サービスをする等)も考えられる。
ただ一方で、手入れが必要なサイズの墓がどのく らいあるのか、という点を考えると、今後はオペレーションの工夫が必要になってくるかも知れない。なにしろ、都市型の墓地は墓石と墓石の間のスペースがほ とんど無く、手入れは全くしなくても問題ないような墓も多いが、そうした墓地こそ密集度が高く、オペレーションコストを下げやすくなるかも知れないから だ。また、旧来型の墓を持ちたがらない人も増えており、冒頭にも書いたように埋葬の仕方も多様化している。そう言った点からすると、潜在的な事業リスクが 若干見られる(大手小町による調査「自分の墓「不要」5割」)。

し かし、重要な点は、旧来の自社のビジネスモデルで特に「モノ」を扱っている事業では、それに不可避的に生じるサービスを組み込むことによって、新たなビジ ネスが展開できると言うことである。そのためには、そもそも自社の「モノ」を顧客が購入する目的は何なのか、その点に立ち返って思考することは有効な手段 となりうるのである。今回の事例は、特に墓という保守的にも思える対象にサービスを組み合わせたという点で、示唆に富んでいると思われる。